出稼ぎの記録 気仙大工の特徴のひとつは通年的な出稼ぎをすることである。 旧小友村の菅野善左衛門は陸前高田市・閑蕉院(明治20年)の脇棟梁である。明治28年頃には、正徳寺の欄間彫物を完成している。社寺建築の脇棟梁を務めたり、龍の彫物をするくらいであるから相当の腕であったにちがいない。この菅野善左衛門は現在の藤沢町に出稼ぎ地をもっていた。
「南行き」の記録 陸前高田市小友町・鈴木三郎氏は明治42年生まれ。長く、北海道旭川市で建築設計棟梁を勤めた。現在は、「気仙大工等の伝承を探る会」の会長をつとめ、地域史を研究している。同会の発行した『小友匠衆の歩み』は気仙大工の建築・人物を記録した力作であるが、その人脈には圧倒される。3年間で600戸を踏査し、気仙大工の建築・出稼ぎ先・主な建造物をまとめている。
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